広報誌「真金倶楽部(まかねくらぶ)」 「まかねふく」は「吉備」の枕詞です。 |
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第6号の真金倶楽部をお届けします。さて、今回は一体どんな質問でしょうか。 |
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昨年に続き大河ドラマの影響でしょうか。今回は幕末から明治にかけて奥村二刀流の使い手として全国に名を轟かせた岡山藩士、奥村左近太(おくむらさこんた)をご紹介したいと思います。 |
≪剣術以外の武術≫ 剣術のみならず、槍術は香取兵四郎(香取流)、柔術は石黒武左衛門(起倒流)、弓術は吉田民次郎(日置当流)に師事し、それぞれ免許皆伝の腕前でした。 そのほかにも砲術や馬術を修めるなど武芸百般に秀でていました。左近太恐るべし。 石黒門下の皿井金之丞との剣術試合で、試合半ばから竹刀を投げ捨てての組み合いになり左近太が負けたため、「柔術を学んでおれば敗れなかったものを」と石黒道場に入門した話、弓術では100本射て96本以上的中させることが度々あり褒美をもらった記録などが残っています。 |
≪轟く勇名≫ 明治中頃になると全国的な大会に度々出場しています。主な大会をあげてみましょう。 |
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左近太の対戦相手は、警視庁撃剣世話掛内でも別格扱いとされていた逸見宗助・上田馬之助、名人上手と謳われた松崎浪四郎、左近太とともに二刀の大家と言われた高橋筅次郎、警視庁撃剣世話掛30人以上に連破した高山峰三郎などなど、名だたる剣豪・剣客ばかり。 これらの大きな大会で彼らと互角以上の勝負を繰り広げ、「奥村二刀流」・「奥村左近太」の名は全国に知れわたるようになりました。 なお、この頃の活躍により左近太の写真が芸者の間で大人気だったというエピソードも残っています。現代の人気スポーツ選手のような感覚だったのでしょうか。 |
≪天覧試合での栄誉≫ 天覧試合にも度々出場しています。明治18年(1885)8月6日岡山巡幸の後楽園能楽堂での試合と、明治27年(1894)11月2日広島大本営での日清戦争戦捷祝賀撃剣大会です。 特に広島の天覧試合では松崎浪四郎と1対1の引き分けになりましたが、明治天皇から側近へ「あれが備前の奥村か」と声がかかりました。これを受けて更に小南易知(無刀流。山岡鉄舟の高弟)との試合になり、左近太が2対1と勝利を収めました。左近太はこの広島での天覧試合を一生の栄誉としました。 |
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