広報誌「真金倶楽部(まかねくらぶ)」
真金倶楽部

   「まかねふく」は「吉備」の枕詞です。
岡山県立図書館 郷土資料班

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NO.2  2003.1

 第2号の真金倶楽部をお届けします。
 早速ですが郷土資料室にこんな質問がありました。





はてな?
岡山県章は昔から同じものを使っていたの?



どんぶらこっこ

 みなさん、岡山県章をすぐ思い浮かべることができますか? あらためて聞かれるとちょっと困ってしまいますね。

 過去の県章を見てみると、大正8年(1919)に制定の「鈴」を模した県章がありましたが(図I参照)、故三木行治知事の「ブタが気絶しているようだね」の一言がきっかけで人気がなくなり、だんだん使われなくなっていったとか。その後は県職員章が県章として準用されていたようです(図II参照)
 また、それまで正式な手続きによって制定した県旗もなかったため、国民体育大会に出場するたびに違う旗を使用したり、昭和37年(1962)の岡山国体からは赤・青・緑の三色旗で急場をしのいだりしていました(図IV参照)

 現在の県章は昭和42年(1967)、地方自治法施行20周年を記念して県民および県出身者の作品786点の中から選ばれました(図III参照)
 決定した図案(岡山市のデザイナー伴介隆さんの作品)は「岡」の文字を図案化し、県民の一致団結を中心に集め、岡山県の将来の飛躍を力強く表したものとなっています。こうして決定した県章は「県公報 告示第883号」(昭和42年(1967)11月22日)にて告示され、同年11月29日の地方自治法施行20周年記念式典で披露されました。
 同時に県旗も「地色をナス紺色とし県章を金色(略式の場合は白抜き)とする」と定められました。

 さて、平成17年(2005)の岡山国体は正式な県旗で各都道府県選手団をお迎えすることになるでしょう。競技場のメインポールにはためく県旗の下、選手や応援団の活躍が期待されますね。詳しくは文献をどうぞ。


参考文献をどうぞ <参考文献>

  •  『岡山県公報 岡山県告示第883号』  岡山県  1967年11月22日
  •  『岡山県政史 昭和戦後編』  岡山県  1969  表紙見開き
  •  『岡山県政史 昭和第3編』  岡山県  1988  p.806-807
  •  『警衆余音』  笠井信一ほか著  岡山県内務部  1919
  •  『笠井信一集』  笠井信一著  全国民生委員児童委員協議会  1988
  •  『目でみる岡山の大正(岡山文庫124)』  蓬郷巌著  日本文教出版  1986
  •  『歴史をつくる岡山国体』  第17回国体岡山県実行委員会  1963
  •  『山陽新聞』  昭和42年11月29日夕刊・30日朝刊、平成14年10月12日朝刊
  •  『おかやま』  11巻10、11、12号  1967年10、11、12月



岡山県章・県旗のあれこれ

  ≪図I≫

県章(大正8年(1919)~)県章(昭和10年(1935)~)県章(昭和23年(1948)~)


  ◇ 大正8年(1919)~
 「岡」の字と「鈴」の形を模した県章。どうですか、鈴の形に見えますか? それともブタが目を回しているように見えますか?
 左から順に大正8年(1919)~、昭和10年(1935)~、昭和23年(1948)~と変遷しています。

  ≪図II≫

県章(昭和31年(1956)~)  ◇ 昭和31年(1956)~
 人気のなくなった県章に代わり準用されていた県職員章。半円球二つの「丘」の中に、とがった「山」が図案化されたものです。県の施設ではまだまだお目にかかることがあるかもしれません。

  ≪図III≫

県章(昭和42年(1967)~)  ◇ 昭和42年(1967)~
 公募により選定された、現在使われている県章です。県旗も県章をあしらったものとなっています。

  ≪図IV≫

昭和37年(1962) 岡山国体に使われた三色旗  ◇ 昭和37年(1962) 岡山国体に使われた三色旗
 前回の岡山国体からしばらくの間使われました。上から左回りに「友情・秩序・奉仕」を表し、赤・青・緑で染めぬかれていました。
 実際の旗には「岡山」の文字が入っていました。


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