広報誌「真金倶楽部(まかねくらぶ)」
真金倶楽部

   「まかねふく」は「吉備」の枕詞です。
岡山県立図書館 郷土資料班

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番外編NO.1  2003.3

 郷土資料室はみなさんの調査・研究をサポートするだけではなく、様々な質問も受け付けています。質問の回答を作るために資料を丹念に調べますが、調べる過程で「おや?」と思うようなことがよくあります。
 事例を1つ挙げてみましょう。

 「人見絹枝が母校(岡山高等女学校)で在校生にコーチをしている写真がある。資料によって日付が異なっているが、どれが本当か?」という質問がありました。

「母校でコーチする人見嬢」(山陽新聞社提供) 
(山陽新聞社提供)
 資料を探してみると確かにグラウンドで在校生と一緒に走っている人見絹枝の写真が見つかりました。が、資料によって日付が大正15年(1926)9月29日だったり、昭和3年(1928)5月25日だったり・・・。これは変だぞ。
 そこで当時の新聞を調べて、人見絹枝の帰岡した際の足取りを追ってみることにしました。

大正15年9月29日(9月30日付朝刊)
 午後6時47分岡山駅着の列車で凱旋。
新聞・報道各社を歴訪。
 午後8時過ぎ三好野花壇で母校岡山高等女学校の歓迎会に臨席。
 午後9時過ぎ歓迎会閉会。
三好野花壇で1泊。実家へは帰らず。
大正15年9月30日(10月1日付朝刊)
 午前9時母校に到着。
 午前9時30分母校にて約1時間の講演。
講演終了後、自動車で岡山駅へ。
駅長室で小憩。
 午前11時50分急行列車で大阪へ。
(『山陽新報』より作成)


 どうでしょう。大正15年の日程では人見絹枝が在校生をコーチすることは、時間的に厳しい気がしませんか?
 次は昭和3年の日程です。

昭和3年5月24日(5月25日付夕刊)
 午前11時着の列車で帰岡。
 新聞社などを訪ねた後、母校の送別会に臨席。
昭和3年5月25日(5月25日付夕刊)
 午前11時の列車で大阪へ帰る予定。
(『山陽新報』より作成)


 昭和3年の日程では5月24日の午後と25日の午前中に時間的な余裕がありそうです。
 5月25日朝刊を見ると、質問と全く同じ写真が掲載されていました(記事は無し)。
 新聞には普通前日の出来事が載るよなぁ・・・。

 次に写真に目を向けてみると、観衆が傘を差していることがわかります。そこで当時の天気を調べてみることにしました。

降水量(mm)
(『岡山県気象六十年報』より作成)
大正15年9月29日 
なし
30日 
0.1
昭和 3年5月24日 
3.7
25日 
なし


 さあ、みなさんはどう思われましたか。

 資料は私たちに様々な情報を与えてくれますが、全てが正しい情報ばかりとは限りません。
 みなさん、郷土資料をどんどん活用して「岡山博士」になってみませんか?


参考文献をどうぞ <参考文献>

  •  『人見絹枝 炎のスプリンター』  人見絹枝著  日本図書センター  1997
  •  『人見絹枝研究に関する文献目録(新聞・その他・写真)』  武田一・三澤光男著  日本女子体育大学紀要29巻別刷  1999
  •  『新聞記事と写真で見る世相おかやま 昭和戦前明治大正編』  山陽新聞社出版局  1990
  •  『山陽年鑑 昭和12年 別冊:岡山県七十年史』  山陽新報社  1936
  •  『(岡山操山高等学校)創立七十年史』 創立七十年史編集委員会編  岡山操山高等学校  1969
  •  『(岡山操山高等学校)創立百年史』 創立百年史編集委員会編  岡山操山高等学校  1999
  •  『山陽新報』  大正15年9月30日・10月1日、昭和3年5月25日朝刊・夕刊
  •  『岡山県気象六十年報』 岡山測候所編  岡山県  1953

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